第30回 寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント

平原康多/ SS 87期 埼玉

HERO STORY

父の背中を追って

“準地元”である弥彦競輪場で行われた寛仁親王牌にて「震えるくらいの声援」を受けて優勝し、今年5番目のGP出場枠を獲得したのは平原康多であった。1982年6月11日生まれ。新潟県西蒲原郡弥彦村の隣、岩室村で中学まで過ごした後、埼玉県狭山市へ移住し、埼玉県立川越工業高等学校へ入学。“こうた”少年にとっての「HERO」であった元競輪選手の父・平原康広の背中を追うように自転車競技部へ。練習に励み、ジュニア世界自転車競技大会など国際大会に出場するほどの選手となった。この自転車競技部で2学年下にいたのが宿口陽一である。

順風満帆な競輪人生

高校を卒業し、87期生として日本競輪学校へ入学。2002年8月5日、西武園競輪場でデビューし、同年12月に初優勝を飾った。2年後の2004年、S級昇進。翌年6月のふるさとダービー(かつてのG2)にてビッグレース初出場&準決勝進出を果たし、以来G1&G2の常連選手になっていく。2006年の同レースでG2初優勝。同年の全日本選抜ではG1決勝に初めて進出した。2007年、全日本選抜競輪(G1)準優勝。そして翌年ついにKEIRINグランプリ初出場を叶える。翌2009年の高松宮記念杯競輪(G1)にて、後に“ゴールデンコンビ”と呼ばれる武田豊樹との連係から抜け出し、G1初優勝を果たした。同年末、2年連続でのGP出場。さらに翌2010年には高松宮記念杯競輪(G1)連覇、3年連続となるGP出場を決めた。

大スランプからの復活

順風満帆な競輪人生であったが、2011年に3連覇を目指した高松宮記念杯競輪(G1)で失格を犯し、極度のスランプに陥ってしまう。GP出場を逃し、S級S班から陥落。翌2012年は記念での優勝もなく、このまま終わってしまうのではないかとも心配された。しかし、2013年の全日本選抜競輪(G1)にて涙の復活優勝を果たす。以降、昨年まで8年連続でGPに出場。そして今年も度重なる負傷を乗り越え、見事、出場枠を勝ち取ったのである。巧みな位置取りで自在に立ち回り、堅実で安定していて、選手からの信頼も厚い。競輪界最強のオールラウンダー、平原康多。G1優勝8回、G2優勝2回という華々しい記録の裏にあったスランプからの復活劇、生まれ育った故郷で応援する人々のため死力を尽くす走りに、ファンは魅了されてきた。オールスターファン投票1位となった今年。9年連続11回目でついにGP初優勝を叶え、「HERO」になってくれるとファンは信じている。