第75回 日本選手権競輪

松浦悠士/ SS 98期 広島

HERO STORY

西の松浦、東の郡司。

「西の松浦、東の郡司」。現在の輪界で西の横綱と称される松浦は、東の横綱の郡司が生まれた2カ月半後、1990年11月21日に誕生。“こうへい”少年が白球を追いかけている頃、“ゆうじ”少年はプールで泳いでいた。広島市立広島工業高等学校へ進学すると水泳部がなかったため、自転車競技部へ入部。3年間の結果は総体8位、国体7位と素質は十分ながら、「HERO」からはまだ遠い場所にいた。

味わった降格の怖さ

恩師に背中を押されて競輪学校に入学し、卒業したのは2010年のこと。7月に熊本競輪でデビュー、3年後にはS級へ昇格と順調にキャリアアップをしているように見られたが、わずか半年でA級に降格してしまったのである。落ちる怖さを知った。意識を変えるしかなかった。勝っても負けても原因はすべて自分にあると自覚し、常に自分を見つめ直して、“競輪”と真摯に向き合った。効率よくレースで生かせる練習を心がけて、鍛え直すこと1年。2015年にS級2班へ再昇格すると、いきなりS級初勝利、初優参、初優勝、完全優勝。翌年には記念優参、G1初勝利と自在な走りで怒濤の進撃を始めたのである。そして2018年、地元の広島記念で初優勝を果たす。数年前まではそこで満足してしまう程度の選手だったが、大きな挫折から這い上がってきた者の意識は変わっていた。グランプリ出場は夢ではなく、現実に近づいているという確信。2019年の全日本選抜競輪で初のG1決勝進出を果たすと、ビッグ決勝の常連へ。そして迎えた11月の競輪祭にて、遂に現実となる。G1初制覇。賞金ではなく、タイトルでのGP出場権獲得。

3度目のグランプリ

初のGPは7着と惨敗…。だが、もうそこで終わる男ではない。翌年もオールスター競輪(G1)を獲ってGP出場。しかし、またもや8着と惨敗…。いや、まだまだ。今年も年頭から公言していた「ダービーで勝つ」を有言実行し、日本選手権(G1)のタイトルを引っ提げてのGP出場を決めた。常に競輪のことだけを考えている男がその頂に立ち、「HERO」となったご褒美で食べる好物のスイーツは、きっと格別なものになるだろう。